仏教には蓮の花がよくでてきます。香典袋や仏教に関する絵などにも蓮の花が描かれていたり、仏像の台座なども蓮の花である場合が多く「蓮華座(れんげざ)」とも言われています。おせち料理でいただく蓮の地下茎である蓮根は、輪切りにすると穴がたくさん開いていることから「先を見通す」ことに通じ、縁起が良いものとされています。
仏教と蓮にはどのような関係があるのでしょうか。
仏教と蓮の花
私達が葬儀の受付をさせていただく際、蓮の絵が描かれた香典袋や返礼品の熨斗を目にすることがありますが、仏教と蓮にはなぜ深い関わりがあるのでしょうか?
阿弥陀経(あみだきょう)には、「池の中に蓮華あり、大きさ車輪の如し」と書かれ、「極楽には蓮の花が咲いている」と説かれています。
阿弥陀経(あみだきょう)には、「池の中に蓮華あり、大きさ車輪の如し」と書かれ、「極楽には蓮の花が咲いている」と説かれています。
蓮華の五徳(れんげのごとく)
蓮には五つの徳が備わっていて、この五つの特徴を私達が持てば極楽に生まれることができると言われています。このことを「蓮華の五徳」と言います。
1.淤泥不染の徳(おでいふぜんのとく)
淤泥とは、淤も泥も泥田を意味します。蓮の花は高原陸地に咲くのではなく、不浄である泥の中から芽を出します。決して泥に染まらず水面より上に柔らかなピンク色、白色、黄色などの優美な花を咲かせるのです。泥水が濃ければ濃いほど大輪の花を咲かせる、とされています。
私達は生きていくために、多くの過ち(嘘をつく・他人に迷惑をかける)を犯しています。これを当たり前のことと思っていると、ずっと泥の世界に埋まったままです。しかし、そのことを自覚することができるようになると、迷惑をかけずに生きることができないのが人間であると気付き、全てのものに対してありがとうという気持ち、感謝の心が生まれるのです。
私達は生きていくために、多くの過ち(嘘をつく・他人に迷惑をかける)を犯しています。これを当たり前のことと思っていると、ずっと泥の世界に埋まったままです。しかし、そのことを自覚することができるようになると、迷惑をかけずに生きることができないのが人間であると気付き、全てのものに対してありがとうという気持ち、感謝の心が生まれるのです。
2.一茎一花の徳(いっけいいっかのとく)
蓮の花は、一つの茎に一つの花を咲かせます。
私達の命は一人一人に固有のもので、私の代わりは私以外にはいません。唯一無二の存在です。自分自身をしっかりと持ちましょう。
私達の命は一人一人に固有のもので、私の代わりは私以外にはいません。唯一無二の存在です。自分自身をしっかりと持ちましょう。
3.花果同時の徳(かかどうじのとく)
蓮の花は一度に開きます。そして、咲くと同時に実ができます。
私達は生まれたと同時に誰にでも、仏様の心が備わっています。仏の原石は備わっているので、人生において磨いていきましょう。
私達は生まれたと同時に誰にでも、仏様の心が備わっています。仏の原石は備わっているので、人生において磨いていきましょう。
4.一花多果の徳(いっかたかのとく)
蓮の花は、一つの花にたくさんの実をつけています。
自分が開花(真実に出会う)すると一気にたくさんの真実が見え、それが後に多くの人々の幸せに繋がっていきます。
自分が開花(真実に出会う)すると一気にたくさんの真実が見え、それが後に多くの人々の幸せに繋がっていきます。
5.中虚外直の徳(ちゅうこげちょくのとく)
蓮の茎には栄養を運ぶために、管のような穴が開いています。一見すると弱くて直ぐに折れてしまいそうですが、空洞があることによって強度が増しているのです。
私達人間は小さな穴が開いていて弱そうに見えますが、実際は穴が開いているからこそまっすぐに伸びる強さを持っているのです。
私達人間は小さな穴が開いていて弱そうに見えますが、実際は穴が開いているからこそまっすぐに伸びる強さを持っているのです。
まとめ
仏教では、なぜ蓮の花がでてくるのか。それは蓮の花の五つの特徴(蓮華の五徳)が、仏の道を歩む上で正しい姿だからなのですね。
生前正しい信心を得た人は、極楽の蓮の台に忽然と生まれると説かれています。また、泥水は人間が生きていく上での苦しみや悲しみ【煩悩】を表し、花が咲くこと【悟り】を表しています。「いろいろな苦しみや悲しみを経験しなければ悟りを得ることはできない」と教えてくれているのでしょう。
蓮の花は、どのような困難や苦労があってもいつかは美しい花を咲かせたい、と願う人々の想いを反映した花と言えます。
私達が葬儀の受付でお預かりする香典袋に、蓮の花のイラストが描かれていることがあります。この香典袋は仏教用で、故人が極楽浄土でまた花を咲かせることができるように、との願いが込められているそうです。弊社スタッフは、より一層ご遺族の心に寄り添わなければ・・・と強く感じました。
生前正しい信心を得た人は、極楽の蓮の台に忽然と生まれると説かれています。また、泥水は人間が生きていく上での苦しみや悲しみ【煩悩】を表し、花が咲くこと【悟り】を表しています。「いろいろな苦しみや悲しみを経験しなければ悟りを得ることはできない」と教えてくれているのでしょう。
蓮の花は、どのような困難や苦労があってもいつかは美しい花を咲かせたい、と願う人々の想いを反映した花と言えます。
私達が葬儀の受付でお預かりする香典袋に、蓮の花のイラストが描かれていることがあります。この香典袋は仏教用で、故人が極楽浄土でまた花を咲かせることができるように、との願いが込められているそうです。弊社スタッフは、より一層ご遺族の心に寄り添わなければ・・・と強く感じました。